日本の偉人

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宮本茂

マリオの生みの親

ゲームクリエイター任天堂株式会社 専務取締役情報開発本部長。同社のゲームソフト開発の中心的存在。愛称に「ミヤホン」「ミヤポン」。任天堂を世界的大企業に押し上げた功労者の一人である。「ドンキーコング」、「マリオ」、「ゼルダ」、「ピクミン」の生みの親。

任天堂入社

1977年に金沢美術工芸大学を卒業後、任天堂に入社。
入社直後はかるたの版下のデザイン、麻雀のラベルなど小さな仕事をこなしていたが、1979年頃からゲーム筐体のデザインを数多く手がける。

入社3年目の1980年に転機が訪れる。
NOA(任天堂のアメリカ支社)で在庫問題が起きた際に、NOAの社長荒川實は在庫処分のため、「新しいゲームを作ってROMだけ送ってくれ」と任天堂本社に依頼した事を受け、任天堂本社で新しいゲームを誰に作らせるかというコンベンションが開かれることになった。

 

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その際に横井軍平が、従来のようにハード側の人間ではなくソフト側の人間に作らせれば新しいゲームが出来るのではないかと考え、宮本を推薦した。
宮本はキャラクターを描き直し、ゲーム内容について宮本茂が積極的にアイデアを出し、プログラミング以外をほぼ1人で担当し、最終的に『ドンキーコング』として完成させた。
ドンキーコング』は世界的な大ヒットになり、またマリオというキャラクターを生みだすきっかけになった。

任天堂の山内社長の「100人の凡才より1人の天才」という考えから任天堂ゲームの中心的開発者となり、情報開発部(現・情報開発本部)の開発課長に就任。
1996年、情報開発本部に格上げされ、宮本は情報開発本部情報開発部長に就任。1998年、情報開発本部長に就任。2000年6月、取締役に就任。2002年5月31日、代表取締役専務に就任。

過去には、マイクロソフトがゲーム業界に参入する際、任天堂を数兆円で丸々買収しようとした話もあり、その任天堂のゲームソフト開発の中心人物である宮本茂を「現在の給料の10倍」で引き抜こうとしたこともあった。

宮本の地位から言えば日本円で軽く年収10億円は超える提示に、宮本は「(任天堂には)仲間がいるから」と言って断ったと発言している。

影響力

2007年にはアメリカの『TIME』の企画「今年世界に最も影響力のある100人」に関連して行われた読者アンケートで第9位に入っている。
イギリスの“Develop Conference”で行われた“ゲーム開発者にとっての開発業界のヒーロー”(game developers' game development hero)にも、世界中のクリエイターから集計された9000票の内の3分の1もの票数を獲得し、ヒーローに選ばれている。

またディズニーの副社長で、ディズニー・インタラクティブ・スタジオの代表者であるグラハム・ホッパーは宮本を、「ビデオゲーム産業において世界規模で何度も成功した一握りの人間であり、さらにそれが長期間に渡っている人物。おそらく彼と同じレベルで肩を並べられるクリエイターは存在していない」(訳文)とまで評価している。

 

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