浅井長政
近江北部一帯を治めていた戦国大名
妻は織田信長の妹、お市の方。わずか29歳で死去した、近江の名君である。
当時の浅井氏は六角善賢に従属していたが、六角氏から独立。その後は六角義賢を相手に戦い、これを撃退し領土を広め、名君の片鱗を見せ始める。
また長政は織田家と同盟を結び、信長の妹であるお市の方を妻にした。
しかし信長が同盟の条件を破って朝倉氏を攻め始めると、長政は長年親しかった朝倉を重視し、織田との同盟を捨てて金ヶ崎で信長を攻めた。これは信長にとって非常に意外だったようで、命からがら金ヶ崎より逃げ延びている。
その後、両軍は姉川にて対決。長政は織田軍の13段の構えのうち11段を破る猛攻を見せたが、結局は織田・徳川軍に敗北している。
その後浅井家は反信長包囲網に加わり、毛利・武田・朝倉・一向宗勢力らと共に信長を苦しめることになるのだが、それぞれの勢力の足並みが揃わないうちに武田信玄が病死し、朝倉家は一乗谷に滅んだ。
1573年、織田軍は浅井の本拠地である小谷城を取り囲んだ。長政はお市や娘達を逃がすと、父と共に自害した。享年29。辞世は伝わっていない。