日本の偉人

日本の偉人を紹介していきます。

小野妹子

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最初の遣隋使

飛鳥時代の政治、外交家。名は「妹子」とあるが 男性である。
607年に聖徳太子の命令によって、遣隋使として支那にわたった。国書を隋の皇帝にわたし、日本と支那が対等の関係で国交を開こうとした。一時は流刑にさらされるなどされたが、のちに恩赦により、復活をはたしている。なお、608年にも再び隋にわたった。

聖徳太子が隋に送った手紙

聖徳太子小野妹子に持たせた手紙はあまりにも有名です。【日出処天子至書日没処天子無恙云々】(日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや…)これを読んだ隋の煬帝は激しく怒ります。
日本を「日の出る国」、支那を「日が落ちる国」と表現したこと、もう一つは支那皇帝にしか使用されていなかった「天子」という言葉を「日出処の天子」と使ったことです。

聖徳太子にしてみれば、隋と初めて交易を持つ際に、隋と対等の関係でいきましょうという意味が込められていたと言われています。

華道の祖

小野妹子は、聖徳太子の守り本尊でもある如意輪観音を守るよう命ぜられ、坊を建設して朝と夕、毎日仏前に花を供えました。これが池坊流のはじまりとされ、華道の祖とも言われています。

 

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