日本の偉人

日本の偉人を紹介していきます。

南方熊楠

歩く百科事典

1867年から1941年に活躍した博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者。菌類学者としては粘菌の研究で知られている。
18言語を解し、「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。

個人の研究でネイチャーに51度載る

天文学会の懸賞論文に出した初論文「極東の星座」がいきなり1位入選し、英を代表する科学雑誌『ネイチャー』に掲載された。「ミナカタ」の名は一躍知られるようになり、その後も「ミツバチとジガバチに関する東洋の見解」「拇印考」など51回も論文が紹介される。
そして、掲載記事数51本はいまだ抜かれていない。

学歴もなく、どの研究所にも属さず、特定の師もおらず、ただの民間の一研究者。何もかもが独学で肩書きナシ。国家の支援も全く受けずに、これほど偉大な業績を残した人間が実在した。

「肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない」(南方熊楠

驚異的な記憶力

子供の頃から驚異的な記憶力を持つ神童だったという南方は、常軌を逸した読書家でもあり、蔵書の豊富な家で100冊を越える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶から書写するという特殊な能力をもっていたと言われている。

孫文と親友だった

ロンドンで亡命中の孫文と出会い、意気投合。
「願わくはわれわれ東洋人は一度西洋人を挙げてことごとく国境外へ放逐したきことなり」と述べたと言われている。孫文は南方に会いに和歌山まで来ている。

勉強熱心

捕まった監獄でも新種の粘菌を発見している。

 

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