日本の偉人

日本の偉人を紹介していきます。

2015-01-01から1年間の記事一覧

滝川一益

織田四天王の一人 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。甲賀の里出身の忍者だったという説もある。 鉄砲の名人。 「先駆けは一益、殿(しんがり)も一益」と言われるほどの勇将 織田家においては伊勢方面の攻略を担当。信長の次男信雄とともに北…

石田三成

関ヶ原の合戦における西軍の主導者 安土桃山時代の戦国大名。豊臣政権の五奉行の筆頭としても知られる。 豊臣秀吉が長浜城の主となった際に父・兄と共に秀吉に仕官し、自身は小姓として仕える。 信長が本能寺で亡くなると、秀吉の側近として次第に台頭してい…

井伊直弼

日本の開国を断行した男 近江彦根藩の第15代藩主。 幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変…

雑賀孫一

信長の天敵 1534年から1589年に活躍した雑賀衆という一揆集団の棟梁。雑賀孫市とも書く。本名は鈴木孫一。16世紀当時としては非常に多い数千丁単位の数の鉄砲で武装しており、きわめて高い軍事力を持って傭兵集団としても活躍した。 石山合戦において雑賀衆…

紀伊國屋文左衛門

1669年から1734年に活躍した商人である。略して「紀文」(きぶん)と呼ばれ、「紀文大尽」と言われた。 文左衛門が20代の頃、紀州みかんや塩鮭で富を築いた話が伝えられる。上野寛永寺根本中堂の造営で巨利を得て幕府御用達の材木商人となるも、深川木場を火…

武内宿禰(たけうちすくね)

古代の英雄 記紀に伝わる古代日本の人物。景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族27氏の祖ともされる。武内宿禰は忠臣とされることから、…

徳川吉宗

暴れん坊将軍 江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主を務めた。「米将軍」の呼び名で知られ、江戸幕府の財政を建て直した名君として人気の高い将軍。1684年、第2代紀州藩主・徳川光貞の四男として生まれる。1705年、父と2人の兄…

松下 幸之助

経営の神様 1894年から1989年に活躍した実業家、発明家。「経営の神様」とも称されている人物。パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者。晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ…

華岡青洲

和歌山が生んだ医聖 独自に開発した麻酔薬を使って、世界で初めて乳がんの摘出手術に成功させた人物。 妻と実母が人体実験に自ら申し出て、妻の失明を伴ったが念願の麻酔薬「通仙散」を完成させた。その後、1804年、大和国五條村の藍屋勘という老婆が青洲の…

植芝盛平

合気道の創始者 1883年から1969年に活躍した日本の武道家。合気道の創始者。大東流を初めとする柔術・剣術など各武術の修行成果を、大本教や神道などの研究から得た独自の精神哲学で纏めなおし、『和合』、『万有愛護』等を理念とする合気道を創始した。 身…

武蔵坊弁慶

義経伝説の英傑 平安時代末期の僧兵。源義経の郎党。講談などでは義経に仕える怪力無双の荒法師として名高い。 義経との出会い 弁慶は比叡山に入るが乱暴が過ぎて追い出されてしまう。その後、四国から播磨国でも同じように追い出され、やがて、弁慶は京で千…

南方熊楠

歩く百科事典 1867年から1941年に活躍した博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者。菌類学者としては粘菌の研究で知られている。18言語を解し、「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残して…

陸奥宗光

カミソリ大臣 1844年から1897年に活躍した政治家、外交官。紀州藩藩士。明治初期に行われた版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正に大きな影響を与えた。また、カミソリ大臣と呼ばれ、伊藤内閣の外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった…

樋口季一郎

2万人のユダヤ人を救った男 イスラエルには世界的に傑出したユダヤ人の名を代々登録し、その功績を永遠に顕彰する「ゴールデン・ブック」という本がある。その中に、モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタインなどの傑出したユダヤの偉人達にまじって、「…

山名宗全

応仁の乱の西軍総大将 室町時代の武将、守護大名。但馬・備後・安芸・伊賀・播磨守護。名は持豊(もちとよ)。宗全は法名。応仁の乱の西軍の総大将として知られ、西軍の諸将からは宗全入道または赤入道と呼ばれていた。一休宗純は宗全のことを「業は修羅に属し…

エルトゥールル号遭難事件

テレビ朝日でやっていたので、今日はこちらの話を書きます。 エルトゥールル号遭難事件 1890年の出来事です。 トルコ皇帝ハミル二世が日本に派遣した特使一行を乗せたトルコ軍艦エルトゥールル号が、帰路、暴風雨に遭遇してしまいます。 そして、和歌山県串…

阿久悠

昭和を代表する作詞家 放送作家、詩人、作詞家、小説家。本名、深田 公之(ふかだ ひろゆき)。淡路島出身。1970年代にオーディション番組の「スター誕生!」で発掘されたアイドルたちの楽曲の作詞を手掛ける一方、演歌、アニソン、特撮ソングまで多くの楽曲…

嘉納治五郎

講道館柔道の創始者 東大卒後、学習院教授等を経て東京高等師範学校長を多年務める。また講道館を創設し、その館長として柔道の研究指導に当たり、「柔道の父」と仰がれる。また「日本の体育の父」とも呼ばれる。貴族院議員。日本最初のIOC(国際オリンピック…

白洲次郎

従順ならざる唯一の日本人 日本の官僚、実業家。終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力会長などを歴任した。 連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商務省の外局とし…

黒田孝高

黒田官兵衛の名で知られる天才軍師 戦国・安土桃山時代の武将。通称の官兵衛および出家剃髪してからの如水の名で知られる。 豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、後世「両兵衛…

宮本武蔵

日本史上最も有名な剣豪 1584年、揖保〔いぼ〕郡太子町宮本生まれとされている。1645年5月19日熊本県で亡くなった。二刀流(円明流,二天一流,宮本流)の開祖。 幼少のころから兵法に心がけ,13歳ではじめて新当流の有馬喜兵衛と試合して勝ち,以後六十余たびの勝…

柳田國男

日本民俗学の開拓者 「日本民俗学」の創始者で、近代日本を代表する思想家。1875年兵庫県神東郡田原村辻川で父松岡操の六男として生まれる。その後、東京大学で農政学を学ぶ。 大学卒業後、「農政官僚」となり、1901年に信州飯田藩出身の柳田家の養嗣子とな…

春日局

大奥の制度を確立 安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号である。本名は斎藤福。明智光秀の家老斎藤利三と稲葉通明(一鉄)の娘の安との子。 江戸城大奥の礎を築いた人物であり、松平信…

赤松円心

室町幕府設立の功労者 鎌倉時代から南北朝時代の武将、守護大名である。播磨守護。本名は則村。円心は法名。護良親王の令旨を受けて、1333年1月苔縄城に挙兵した。5月足利高氏(尊氏)と共に六波羅を攻め落とした。その功により建武政権で播磨守護職を与えられ…

柳生宗矩

政治力に優れた剣豪 江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の兵法指南役。大和柳生藩初代藩主。 剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した。 政治力が強いことで柳生十兵衛との対立が描かれることが多いが、剣豪とし…

安倍晴明

天才陰陽師 921年から1005年に活躍した陰陽師。 鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。桜井市安倍に生まれたとされる(大阪市阿倍野区と言う説もある)。この安倍氏は土御門家とも呼ばれ、晴明一代で陰陽道の名家になれた。…

卑弥呼

謎が多い女王 2世紀後半の弥生時代に活躍した人物。 支那の「三国志」と呼ばれる歴史書の1つ「魏書」という書物の、所謂「倭人伝」と呼ばれる日本のことが描かれている部分に登場する日本の女王。卑弥呼とは、支那側の呼称。日本にそのような人物は存在せず…

島左近

三成に過ぎたるものと言われた武将 安土桃山時代の武将。石田三成の家臣。本名は島清興(しまきよおき)。三成に三顧の礼をもって迎えられ破格の高禄を食む側近として仕え、「治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの逸材だ…

在原業平

伊勢物語の主人公 825年から880年に活躍した貴族・歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。第51代天皇・平城天皇の第一皇子・阿保親王を父に、桓武天皇の皇女・伊都内親王を母に持つ高貴な家柄の出身だが、祖父・平城天皇が起こした薬子の変によって家運が傾き、臣…

役小角

修験道の開祖 634年から701年に活躍した呪術者である。修験道の開祖とされている。実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。「役優婆塞(えんのうばそく)」、「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」、「山上様(さんじょうさま)」とも…